haruという存在から教えられる

2016年08月27日 20:41


ここ数日

haruが産卵で動けないため

ほとんど遊んでいません


いつもなら

うっとうしいと

しつこいと

苦笑いなのに


じっとおとなしく、籠にうずくまるharuに

物足りなさを感じて

篭を開けても出て来ないharuに

寂寥をおぼえて


毎日が

与えてもらっていたのだと

知る事になるとは

迷惑がっていた過日に

到底、思うことはありませんでした


買う、買われる

飼う、飼われる

とても対等ではないはずの関係も

命 対 命で

まったくもって対等で

身体が大きいから偉いとか

脳が大きいから賢いとか

まるで無意味


人の心は

あまりに隙間が多すぎて

だからこそ

敬うものも数えきれない程あって


その筆頭にharuやcho-ちゃん、valoがいるのだと

少し寂しい夜に

一人で想い更ける


今日は

そんな日です